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佐々木塾ブログ : 新着情報 4ページ目

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今後とも、佐々木塾をどうぞよろしくお願いいたします。

AO入試の話をします

 AO入試は日本では1990年に初めて慶應義塾大学の総合政策、環境情報学部で実施され、それ以来新しい入試方法として注目され現在では350以上の大学で採用されています。大学によっても違いますが、例えば元祖慶應では出芽(800字の自己アピールの作文の他にもこまごまとした提出物がある)➡書類審査➡面接➡合否決定➡事前教育という流れになっています。注目していただきたいのは学力検査がないということです。ある意味で日本の大学受験に革命がおこったとさえ当時言われたものです。これまでにも指定校推薦という学力検査なしの制度はありますが、これは高校時代の学内成績が優秀でなければなりません。それに対しAO入試の場合は必ずしも高校時代の成績は重視されません。それよりも高校時代に何に関心をもって、その分野を自分なりにどう取り組んだか?そして大学では何をやりたいのかが明確に分かっていることが重視されます。
 

 さてそのAO入試に佐々木塾は何ができるでしょう。佐々木塾では小学5,6年生から「論理エンジン」という教材を使って授業をする人もいます。この教材は魔法のような教材で、国語力はもちろんほかの教科にまで役立つのです。そのわけは「頭の使い方」「ものの考え方」を学ぶからです。実際この「論理エンジン」を中2から始めたある生徒は、高校生になって毎日新聞の「高校生小論文コンクール」で佳作に選ばれ、哲学オリンピックでは銀メダルを獲得。惜しくもヘルシンキでの世界大会には行けませんでしたが、(これは論文を英語に翻訳するときに金メダルの帰国子女に後れを取ったせいです)見事な健闘でした。その彼はその後慶應大学の環境情報学部にAOで合格し「論理エンジン」という教材の底力を思い知らされました。彼は今慶應でさらに自分の学問フィールドを充実させています。


 佐々木塾には「論理エンジン・国語」の姉妹編として、「論理エンジン・英語」(佐々木塾のオリジナル教材です)があります。体験授業にてこの二つの「論理エンジン」を体験してください。そしてAO入試も将来の大学受験の選択肢に加えてください。


虔十(けんじゅう)公園林

 今年3月千葉大の後期日程の小論文対策をやっていた時に課題文になっていたのが宮沢賢治の「虔十公園林」である。気になるのでもう一度取り上げたい。それほど優れた示唆に富んだ本である。恥ずかしながら宮沢賢治は自分では読んでいるほうだと思っていたのだが、「虔十公園林」は初めて読む本だった。この作品のテーマは「本当の知恵」とは何かであり、軽度の知的障碍者を持つ虔十という少年の行為がその土地に多くの偉人を生み出し最終的に地域に多大な貢献をしたという構成になっている。賢治が私たちにたくさんのことを問うているここではこれを考察したい。ウィキペディアからそのあらすじを引用する。
 
虔十はおかしくもないのに笑ってばかりいて知恵が足りないと周囲からバカにされている少年である。
雪の残る早春に、虔十は家の裏手に杉苗700本を植えることを思いつく。最初兄から土が合わないと反対されるが、父が虔十の初めてのわがままであることに気づいて、やらせてみることになる。翌日虔十が木を植えているのを見て、隣の平二がばかにして止めさせようとするが、兄がやってきたおかげで何事も起きずにすむ。しかし虔十が木を植えたうわさが広まり、近所から冷笑される。


木は5年までは成長がとまり8年経っても9尺(約2.5m)に留まった。百姓の冗談を真に受けた虔十は下枝を刈って、盆栽のような林になってしまう。兄はそれを見て笑ったもののよい薪ができたと虔十を慰める。しかし、翌日からそこは子供たちの格好の遊び場になり、虔十はそれを見て満足する。


ある霧の日、再び平二が実害もないのに、自分の畑に影が入るから気を切るように県十に迫った。平二は虔十に手をあげるが、虔十はそれを断り、林を守りきる。そういうことがあって後、平二も虔十も病気で亡くなってしまう。


それから20年館の間に町は急速に発展し、昔の面影はどこにもなくなってしまう。ある日この村を出てアメリカの教授になって帰ってきた博士が15年ぶりに帰郷し、地元の小学校でアメリカについて講演をした。講演後、博士は小学校の校長たちと虔十の林に足を向け、この林だけがそのまま残っているのを発見して、子供心に馬鹿にしていた虔十のことを思い出す。そしてこの背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたことや、今の自分があることを悟り、林に重要性に初めて気づく。


博士は「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」と言って、校長にこの林を虔十公園林と命名し、子供たちのために永久に保存することを提案する。その話が広く伝わり,碑が立つと、かつて虔十の林で遊んで立派になった大人たちから多くの手紙や寄付が学校に集まり、虔十の遺された身内は本当に喜んで泣いた。

以上があらすじであるが、この作品は1934年に発表されている。賢治没年は1933年であるからこれよりも前に記されていたことになる。世界恐慌が起きた翌年である。第2次世界大戦勃発の10年近く前である。この時代に宮沢賢治は今でいうノーマライゼーションと環境破壊とその保護、都市の景観について予想していたということになる。今さらながら賢治の現代社会を先取りした慧眼にはただただ敬服するしかない。次項でノーマライゼーション・環境保護・破壊・都市の景観を考察したい。







合格報告届きました。そして...(2)

 今回は塾をやっているいる以上どうしても避けて通れない問題…不合格について考えたい。その前に引用したい文章がある。

 ”失敗してもいいからやってみよう”という失敗と、”絶対成功させてやる!”という気持ちのもとでの失敗は、全く別物だと思います。後者の失敗では大きなショックを味わいますが、そこから学ぶことは非常に大きいのです。西畠背順「教えてくれたのは植物でした」


 この引用の後者の場合、実は成功するよりも実りがあったのではとさえ私は思っている。これはあくまで死に物狂いで勉強して誰にもも後ろ指をさされない勉強をしてきたものだけに言えることではあるが。話を当塾の生徒C君に戻したい。彼はW中学を本命に置き、T中を抑えに今年の入試に臨んだ。W中学は2/1と2/3、T中は2/2に入試があった。W中学は当落線上で、T中は模試でも合格可能生が高いところにあった。2/1のW中学がだめで、さらに2/2のT中がだめとわかったとき、C君は大粒の涙を流したということだ。そして動揺したままW 中の2回目を受けそれも玉砕。結局今回の受験は0勝3敗という結果に終わってしまった。

 この経緯を知って私が思ったことは、あれだけ真面目に佐々木塾の授業を受けてくれ、宿題や課題など黙々とこなしてくれた可哀想だということだった。髪も仏もいないのか。塾講師にあってはならぬ神頼み的なことまで考えてしまった。


 しかし冷静に考えたときこれは可哀想でも気の毒でも何でもない。C君にとってまたとない経験ができたのだと考えるようになった。これはC君がT中学を落ちたことを知ったとき大粒の涙を流したということがすべてを語ってくれる。私たちは”絶対に受かってやる”という思いからことを始めることがあるだろうか?案外落ちた時の予防をあらかじめ作って置いて、落ちた時のショックを和らげる策を講じたりしていないだろうか?そう大粒の涙が出てきたのは”絶対受かってやる”という気持ちが裏切られたからで人としてあまり体験しない種類のショックであると思う。

 後のないところまで自分を追い詰めて、その願いが報われなかったとき見える景色はどんなものだろう。そんなことを経験したことがない人にとっては「絶望の真っ暗闇」というかもしれない。でも本当は意外とぼんやりとではあるがうす暗い光が見えるのではないだろうか?全力を出し切った清々しさと次が与えられるなら今度こそという確かな決意。それが光となって見える気がする。だから「不合格」ということはこれで終わりなのではなく、次衛のステップと置き換えらるのかもしれない。歌の歌詞のような結論になってしまったが、「不合格」も決して気休めでなく悪くない経験だと思う。


合格報告届きました。そして...

 今年の中学受験はすべて終わりました。わが佐々木塾でも

Aさん  武蔵野東合格  彼女の中学受験の取り組み開始は遅く佐々木塾に来たのは6年生の11月でした。それまでどこかで勉強していたというのでもなく11月が開始でした。初めは和光とか明星学園などを受けたいということでしたが、彼女がもつ本来の頭の良さが見て取れましたので、今後の伸びしろを考慮に入れて生徒を選別していると思われる、武蔵野東受験を勧めました。それから約2か月短い期間でしたが、5,6年の復習と記述を中心に学習。途中若干不安に襲われながらも見事に乗り切ってくれました。この学校は抜群の高校受験および活発な部活動が売りなので今後3年間でどう成長していくのかとても楽しみです。


B君 桐朋合格  彼は5年のときに入塾し国語だけを佐々木塾で教えました。少しのんびりしているものの頭のいい子で、教えたこと訂正したことは次までには習得・修正できているというタイプでした。また漢字・慣用句などの暗記物は抜群の記憶力でこちらの作成した漢字と言葉テストではほぼ満点という状況でした。苦手としていた記述問題は論理エンジンを5冊(正確には4冊半まで進みました)やりきることで力をつけていったように感じています。理数が得意ということなので中学でさらなる飛躍を遂げることを祈っています。



そして C君 W中学不合格・T中学不合格  先の二人と違いC君は今入試は大失敗でした。これまで佐々木塾の合格報告は合格者だけを知らせて、不合格者を蔑ろにしてきたと思います。大手予備校・塾はそれでいいのでしょうが、わが塾のような小規模塾は不合格者もきちんと伝える必要があるのではという考えに至りました。塾の真価はそんなところにも問われると思います。次回不合格とは?について考えてみたいと思います。



 




嬉しいメールが届きました(2)

 大学・高校受験はこれからですが、中学受験は明日でそろそろ佐々木塾の在籍者の入れ替えの時期になりました。先週塾した生徒さんがいます。小学6年生で中学進学に備えて弱点を矯正しておきたいとのご希望があって、この時期からの開始となりました。初授業の後お母さまからうれしいメールが届きました。以下のそのメールを載せます。

佐々木先生

今日はありがとうございました!

娘から、積極的に今日の塾のこといろいろお話してくれました、

先生の教え方凄く分かりやすく、わからないところ解った時の嬉しさ、

なんだか喋ってるわけではないけど、楽しかった、

先生思ったより、そんなに怖くなかったって色々話してくれました、

先生、良かったです!感謝しております!

今後のご指導の内容了解しました、どうぞよろしくお願い致します。
  

 佐々木塾にとってはこの上ない嬉しいメールで、いくつになっても褒められるということは嬉しいもので「よし!しっかりやるぞー」という気にさせてくれる内容です。さらにこのブログへの掲載を依頼した返信も嬉しい内容でした。

こんばんは!

先生、構いませんです。

いい塾なら、皆さんに知ってほしいんです、

私の様な困っている岡さんたちはきっと助かります、

どうぞ、是非!

 

遠慮なく掲載さていただきました。ありがとうございました!
なおお母様は外国の方です。

寒中見舞い申し上げます

 今年の私の年賀状です。1月9日に投函したので正確には「寒中見舞い」ですが。


 寒さ厳しき折、皆様にはお変わりないことと存じます。私は昨日まで冬期講習に追われて年賀状もよく読めない状態でした。今日は(1月9日)久しぶりの休みで、皆様から頂いた賀状に目を通しています。毎年この時期は年賀状を書かねばという焦りと、授業の予習をしっかりという背反した二つのせめぎあいで、浮かぬ日々が続きます。皆様には礼を失した時期の賀状となり申し訳ありません。


昨年は自転車の総走行距離が3年ぶりに一万㌔を越えました。昨年は10月は10日以上雨の日があってそれまでのペースが一気にダウンし今年もダメかと諦めかけましたが、、11月,12月は好天に恵まれ何とか達成できました。私にとって健康の秘訣は自転車に乗り続けることです。まさに自転車と同じで止まると倒れてしまうのではというという強迫観念に取りつかれています。今年も一万㌔越えを狙います。


 妻が今年ラストフライトになります。日航の経営破綻いい思い出がどんどん消えていくとと言っています。しっかりねぎらうのが私の務めかなと思います。 これから私はセンター試験・中学受験・高校大学受験と総決算の時を迎えます。人がのんびりしているときが最も忙しいという因果な商売ですが、生徒の合格報告がすべてを帳消しにしてくれます。最後のなりましたが今年もよろしくお願いします。〒186-0002 国立市東1‐1-27-701 佐々木 隆


 

嬉しいメールが届きました(1)

 最近立て続けに2通のメーが届きました。一通はこの塾に7~8年前に大学院受験のために通ってくれたAさんからでした。彼女が最初入塾を希望されてこちらにいらしたときはっきり言って迷いました。大学受験指導の経験は十分あったものの、大学院の指導は正直引き受けるかどうかと。


「指導というよりアドバイス的なことだけでいいのでぜひお願いしたい」という熱心さに負けて自信はないものの一緒に勉強すればいいという気持ちで引き受けました。彼女の専攻は美学だったので、アリストテレスの美学論,エイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」のモンタージュ論などを探してきて英文で読みましたね。時には世阿弥の「風姿花伝」なんかもありました。懐かしい。私も美学についてはいっぱしの知識がついたものです。そして約半年一緒に勉強して希望の大学の修士課程に進まれました。


それから約8年「晴れて来週から短大で教鞭をとるようになりました。ひとえにこれは佐々木先生のおかげと感謝してここにご報告します」先日のメールにはこう書かれていた。これまでにもそ卒業生が卒業した・就職したなど、うれしい知らせがありましたが、このメールもそれらに劣らず感涙ものだった。こういう仕事をしていなければあり得ない体験なのだとこの仕事に感謝しています。
さらなるAさんを生むためにさらに努力しようと誓ったものでした。

朝のヨット

  先日、生徒と、山川方夫の「朝のヨット」という短編を読むこととなった。山川方夫、実は一度も読んだことがなかった。ただ三田文学の創刊者で、曽野綾子・江藤淳などを見出した人。芥川賞候補に何度もなった人。国道一号線大磯でトラックにひかれ、34歳で夭折した人。という予備知識はあった。

 さてその作品。「朝のヨット」について。最近まったく読んだことのないような類の小説である。私などはすでに失っている感性というか,みずみずしいというか久しく忘れていたものを思い起こさせてくれた小説である。
 
 あらすじを少し。愛し合う少年と少女。少女と一緒にいると、もう一人の自分がひどく遠いところに置き去りにされるように思い、自分をとり戻すために一緒に行きたいという少女を振り切ってヨットで海に出る。「女にはわからないさ」「君を好きだよ」の言葉を残し。しかし少年は急変した天候により海に消えてしまう。

 翌日海は嘘のように凪いでいた。ヨットに乗った少女は昨日から幾百回となく繰り返した言葉を唇に浮かべる。「…なぜなの?なぜ一人きりになりにいかなくちゃならなかったの?」と。「一人きりにしがみつき、私よりも自分の孤独さの確認を愛しているみたいに」「私の中にあなたはいて、あなたの中に私はいてどこへ行っても一人きりなんてなれないのに」そう思う少女の頭上を鴎が翔んでいる。その鴎こそ少年なのだ。鴎はただ少女にただ自分だけの充実を追った幼い恋人であったことを告げたかった。しかしいつの間にか飛翔の意味も孤独のさわやかさも、愛することの恐怖も屈辱も喜びも忘れ、透明な朝の風の中で猫に似た単調な鳴き声を繰り返し無心に翼の抑揚を続けるのだった。

 


書くということ

 昨日うれしいメールをいただいた。「佐々木塾ブログを読ませてもらっている。私にはとてもヒットしてます」という内容だった。読者の存在が顕在化することのない性質のブログなので、そういう方の存在はとても励みになる。現にさぼり勝ちのブログを今日はこうしていそいそとして書いている。

 私にとって不思議なのは、仕事の都合上よく過去問を入手し試験対策を行っている。その過去問集には過去5年分なりが掲載されているわけである。するとたいがい「本書、〇〇大学の入試問題につきまして、まことに申し訳ありませんが、以下の問題は著作権上の問題により掲載することができません」ということがよくある。

 著者は何のために書いているのだろう?「書くことを仕事としているのに人に読まれることを拒むのはなぜ?」と素朴な疑問がわいてくる。二次的な掲載のものではなく原典で(つまり本屋で買って)読んでほしいとかいろいろ弁解はありそうだが、こういうことを仕事としている以上人に読んでもらってなんぼなのだと考えるが、違うのだろうか?どんな形であれ人に読んでもらって、世の中に流通してこそ自分の存在を知ってもらえるのでは?

 人のことはともあれ佐々木塾ブログ週1回くらいのペースで書いていきたいものである。まさかこの駄文を引用して他に掲載したいという人はいないだろうが、転送掲載はご自由に。

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