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寒中見舞い申し上げます

 今年の年賀状をそのまま掲載する。

寒中見舞い申し上げます
「多事多忙につき心外ながらも音信を欠いた。(略) 年賀の手紙も遅れ謝罪申し上げる」かの郵便制度の父前島密こんな言い訳をしている(天声人語) これに意を強くしてというわけでもないが今年も年賀の期間を過ぎての投函となった。

 去年から自転車の年間目標を一万㌔に縮小しその代わり歩き1千㌔加えた。1万㌔の中身も年々様変わりだ。一日のロングライドで数字が稼げなくなってきた。ミドルライドでコツコツ稼いでいる。昔は対等以上にやりあえていたロードサイクリストとの競り合いも負けることが多くなってきた。(相手はロードこっちはクロスだけどね)

 歩き1千㌔はNHKの「骨活のすすめー自転車よりもランニング」を見て決めた。骨が適度に地面と接触しないと骨粗しょう症になりやすいらしい。さらに「骨芽細胞」が活性化すれば記憶力・筋力・生殖力を若く保てるということだ。

 歩き1千㌔を加えたせいで妻とのお出かけが増えた。妻はお出かけ着物と覚悟を決めたようだ。以前時間のかかっていた着付けも最近は速くなってきた。妻の着物生活応援するつもりだ.(和装の麗人(?)と一緒に歩くと結構ドキドキするもんだよ男って)

 塾に話を転じると今年はすでに推薦で早稲田・中央の合格者が出ている。一般受験組も国立医学部や東工大など優秀な人が大勢いて楽しみだ。もう一つのm凛中学受験も粒ぞろいだ。

 この年齢になってくると自分から幸せをつかみに行くのではなく誰かの幸せのお手伝いをしそのお裾分けをいただくことが生きがいになっている。やや尻切れトンボではありますが今年もよろしくお願いします。

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書くということ(4)現在進行形を実況中継

 さてM君のその後と今です。1学期の終わりには通知表を見せてもらいました。4年生3学期に比べて「よくできる」の数が飛躍的に増えたとのこと、また担任の先生からのコメントも「M君の字がどんどん丁寧上手になっていくの見てうれしく思いました」というものでした。その後2学期もほぼ毎日書写を続けていました。学力を伸ばす秘訣は継続です。ピアノであれ、スポーツであれ上達するためには毎日短時間の集中的な練習を相当期間にわたって継続して行うことです。これは頭の良しあし遺伝を越えるものになるはずです。M君は4月から書写を続けています。お母さまの助けもあってかもしれませんがともかく継続できたのです。そして成果も出たのです。2学期が終わったらまた報告します

 二学期も終了しました。M君はここまでに9か月くらい書写を続けました。あと3か月で1年です。その間いろいろ成功体験を積み重ねられたようです。二学期の通知表も「よくできる」の個数を一学期よりもさらに増やしました。担任の所見欄には一字一字丁寧に書くことや間違いを直すことなど基本をしっかりやったことが成果を出しそしてM君の自信につながったことが書かれていました。M君がやったことは書写と計算練習がほとんどです。計算練習や書写をやっても大して頭を使うわけじゃないし考える力をつけるうえでほとんど役に立たない。だから文章題とかもっと難しいことをと考える人は多いと思います。しかし、小学3,4年で計算、漢字、書写になじんだ子は不思議なことに10年後世間では合格することが難しい大学に進んでいるのです。佐々木塾の経験からの話です。M君も少し遅れてのスタートですがきっと先輩たちの例にたがわず難関大学に行くのではないかとみています。

 さて次にM君は何を目指せばいいのでしょう?私はずばり読書だと思っています。小4までは語彙は3千ないし4千語、5年、6年の高学年では年に6,7千語ぐらいも覚えていきます。中学受験にしっかり取り組んでいる子は年に8.5千語も獲得します。語彙の数=学力だと思います。語彙数の多い子で低学力の子はいません。小学校後半は生活経験も広がってきますし、自然や社会に着きても少しづつわかってきます。知的好奇心も旺盛になります。この時期をゲームやテレビに時間を奪われるのはあまりにも惜しいことです。学力の土台は言語能力です。本に興味を示さないで高学力の子はめったにいません。教師が使用するのも教科書が使用するも参考書が使用するのも言葉です。その言葉がよくわからないとしたらどうでしょう。語彙力の乏しい子は知的発達の領域もあまり広がらずその速度も遅くなります。子供を賢くするには読書は不可欠です。

 M君の成功体験を一緒に味わえて大変良かったと思っています。年賀状でも書きましたが人の幸せをお裾分けしてもらうのが我々のような塾教師にとっては最大の幸せなのです。M君の成功体験を一過性のものにしないためにも更なる高みを見据えることが必要なのかもしれません。「書くということ」長きにわたって続けてきましたが、今回で終了とします。こんどM君について書くときは本好きになったM君を追えればと思っています。

認知機能と年齢 山形大学過去問から

山形大学2015年前期英語1<老齢と認知機能は関係があるか>を読んだ。The New York Times(2014年1月27日)からの抜粋 


 いつも感じることだが大学の過去問を解いていて読んでためになったと思える文章を出題しているのは国立大だ。どうでもいいような文文章を出してお茶を濁している私大の出題者に爪の垢でも煎じたものを飲ませたいほどだ。まず本文の訳文の要点をかいておく。

   
 物を覚える速度と正確さは25歳くらいから衰え始め、それは衰える一方である。脳が年齢とともに鈍くなるというのは心理学の発見すべての中でも最強のものの一つである。ところが現在、紛れもなくデジタルな方面から認知的な衰えを示す証拠に対する新しい種類の異議申し立てが始まっているという。言葉に関する膨大なデータベースを研究するため高度な学習モデルを使用した。教養ある老人たちは長生きをしているという長所のために一般的に若者よりも言葉をたくさん知っているので実験では老人の脳が言葉を思い出すのに何をしなければならないかのシミュレーションをしている。そして研究者たちがその違いをモデルの中に組み込んだとき、老齢が引き起こす「欠点」の大半は消え失せてしまったのである。つまり頭の中の書庫が大きければ大きいほど特定の言葉を探すのにそれだけ時間がかかるということになる。目下「認知に関する衰え」に対するこの新しいデジタル時代の挑戦はそれが老人であろうとなかろうと、答えを探すのに要する時間に対する既成概念の説明として役立つ可能性がある。原因は鈍さではなく、ものを知っている量がとても多いということなのである。


 以上が要約である。我々が物忘れとか名前がなかなか出てこない原因は我々の書庫が大きくなりすぎたためだと解釈できる。デジタルツールは前デジタル世代の者たちを混乱させ混迷の縁に追い込んだのに、今ではそれが我々の欠点を救うための援軍ツールとしてやってきたようである。もちろんこれらの実験はまだ推論の域を出ていないようだが我々物忘れ族にとっては希望の灯である。わが同輩諸氏「物忘れ」「単語が出てくるまでの時間」は決して恥じるものではなく今まで生きてきたことの勲章と考えてもいいようだ。




「声」欄を読んで考えさせられた

 朝日新聞の「声」欄に以下のような投書が載っていた。投稿者は21歳の女子大生だ。

 高校までは何に対しても「正解」がありました。教科書の問題は解答ページに、取るべき行動は校則に、細かいことはすべて先生が答えをくれました。勉強して、良い大学には行って、素敵なパートナーを見つけることが私にとって正しいことだと思っていました。  しかし大学や社会に出ると突然、正解のない問題ばかりが降りかかってきます。何が正しいか、何が幸せなのか、自分で見極めよと言われます。私なりの正しさって何だろう。幸せって何だろう。幸せになることが人生の目標だとすれば、目標が何なのかわからない今、どこに向かって歩けばいいのですか。私は人生における「正解」が欲しいのです。

  この投書に小児科医の方が「幸せは自分一人で達成できるものではない。人生には辛いことがたくさんあります。でも誰かの幸せのお手伝いをし、苦しみや悲しみに寄り添ったことがあればあるほど、つらさを乗り越える気がします。幸せは自分が力になりたいと思った人から分けてもらうものと思います」と述べている。

 わたしも職種こそ違えいつもこの小児科の先生のような気持ちで生徒さんと接している。お医者さんと違って生死に関することはないが、実に様々な生徒さんに恵まれたものだと思っている。高校生や浪人生はそれこそ一生をかけた戦いを今行っている。志望校も医学部から美大系、はたまた一般受験ではなく付属校からの内部部進学のお手伝いまで広範囲だ。小6生や中3生の受験。学習障害を抱えた子の高校卒業。カナダやボリビアからの帰国子女、病気を抱えた子の中学受験のお手伝い。どの生徒さんが大事とかではなくすべての子が今を生き闘う真剣勝負だと考え寄り添っている。それが私には幸せなんだと思っている。その子たちの合格したとき、望みどおりになったとき、卒業したとき、また卒塾後ふいに訪れてくれたとき、どれもがこの仕事をやっていてよかったと思える瞬間だ。

 ちっとも女子大生の悩みに答えてない内容になってしまった。投書に戻ろう。投稿者はまじめで先生の言うことを素直に聞く優等生だったのだろう。降りてくる「正解」を待っていればこれまでは事足りたのだろう。前回のブログで「正解」を与えられ続けていると自分で考えることができなくるという危惧を書いた。それを少し引用したい。

 皆さんが高校に進み大学に入り、社会へと、先に進めば進むほど理解のために必要な傍線部を引いてくれる人はいなくなります。目の前にある文章を読み解くためにあなた自らが傍線を引き疑問を持ちその答えを自ら探し出すことが不可欠になるのです。文章だけではありません。今後出会うあらゆるものに自分で「正解」を見つけていかねばならないのです。

 と以上のような内容だが投稿者には今からでも遅くないD.N(Developing Note)を勧めたい。詳しくは前回のブログを参照してほしい。

 

論理エンジン(国語) D.N(Developing Notebook)のすすめ

佐々木塾では20年近くにわたって国語(出口汪氏の著書)、英語(佐々木塾オリジナル)共に論理エンジンと冠した教材を使っているがこの教材の最終着地点を示してみようと思います。国語の成績でよい点を取ること、志望大学や高校に合格することも論理エンジンをやる一つの目標に相違ありません。論理エンジンはもう少し先に着地点をおいています。今論理エンジンを教材として使っている生徒諸君もいずれは大学に進み、社会人として先に進むわけですが、先に行くにしたがって文章の読み方を教えてくれる人などいなくなります。目の前の文章を読むにあたり自らが傍線を引いたり要約したり、作者の考えは果たして今自分が知りたいこと考えていることとどういう関係にあるのかなどすべて自分で行わねばなりません。自分自身で今向き合っている文章を再構築して読解しなければなりません。他人任せの読み方をいつまでもしているわけにいかないのです。

そこで佐々木塾では論理エンジンの後期にさしかかった時、Developing Notebook (以後D.N)を作ることを勧めています。このノートはまさに発展途上の人が自分の読んだものをその場限りにしないでノートにためておく提案です。どれほど分かったところで人間の脳は一定期間が過ぎるとそれを忘れるようにできています。せっかく若い脳で読み取り「なるほど」と腑に落ちた文章も時の経過とともに忘却の彼方に行ってしまうのではあまりにももったいない。そこでD.Nの登場です。自分で理解できた文章。ためておきたいと思う文章。あまり欲張っていてはあとが続かないのでよく吟味して。そしてこれだと思った文章の要約を右ページに。この要約はこれまで論理エンジンをやってきたものなら得意になっているはずです。主旨の確認・要点を捕まえキーワードを確認する・論理理従って組み立てなおすという作業を右ページでやってください。左ページはひと言大見出しのようなことを書いておくだけでいいです.そして後で振り返って考えたこと、英文で同じ趣旨の文章に出会ったらコピーして貼り付ける。左ページは自由です。

 こうして一生もののノートを今から作っていくのです。いつも持ち歩いてください。思いついたことがあればメモしましょう。一生の宝物となるノートです。汚くなっても構いません。次第に自分のアイデアが左ページに増えていくのです。これは実に楽しい知的行為ではないでしょうか。



新しい高校受験大学受験を考える

 この先10年から20年で49%の職業が機械に代替えされる可能性がある。また2011年に小学校に入学した65%の子供たちはいまは存在しない職業に就くといわれている。このような時代背景をもとに高校受験また大学受験はどのような変貌を遂げていくのか考えてみたい。

 大学入試共通テストでは国語・数学で記述問題が出題される。知識だけでなく思考力・判断力・表現力も評価さるることが予想されている。入学試験では学力試験に加えて、多面的な試験の導入が予想される。例えば今はAO入試に限られている大学入学希望書、エッセイ・面接・ディベート・集団討論などが近い将来導入されることが検討されていると聞く。これに伴って高校受験も「自分の考え」を書かせる問題が増加傾向にある。英作文では「AI」や「ロボットと産業」などの時事問題と絡め自分の考えを聞く問題がすでにTEAP、や英検でも出題されている。国語の作文では、これまでの学問的テーマについて複数視点から論じるという形式から討論・発表といったコミュニケーション場面における「問題解決能力」に比重を置いた形式に変化し始めている.。

 今大学はレポート・卒論の書けない学生の増加に悩んでいるという。この反省が中学受験の記述増加・中高一貫校の適性検査に小論文が使われている。また最近とみに増えているのが大学のAO入試だ。これらは大学の側から発せられるSOSを受け止めての結果だといえる。高校までの勉強は簡単だ。おぼえるべきことはすべて教科書に書かれている。でも大学の研究というのはそれぞれの専門分野でまだ解明されていない謎を解明すること。つまり「問題解決能力」が求められているのだ。まず謎、すなわち問題点に気づき、その原因についての仮説を立て、それを調査・実験・文献調べで解明するのがレポート・論文なりの書き方だ。それが書けない学生は「問題解決能力」がないということだ。これは英語、数学、国語の筆記のテストではわからない。国公立大学が前期試験で英数国。後記試験で小論文というところが多いのは「問題解決能力」の持ち主即戦力を求めてという見方もできる。

 このような状況下塾はそして佐々木塾はどう今後取り組んでいけばよいのだろうか?英数国理社、プログラミングなアドにおけるいわゆる知識はオンラインで学ぶことができるようになり、これからの塾は学んだ知識を「どう使うか」に始まり「相手にどう伝えるのか」「相手の反応に対しどう反応するのか」といった人同士こそまなぶことができるちからをおしえていくことがもとめられているのだろう。佐々木塾は早い段階から私立大学のいいかげんな問題作りを批判してきた。あのテストからは想像力(創造力)を持った生徒集めたいという思いは伝わらない。考える力・組み立てる力を育てることが求められていると考える。
 


 





 

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