佐々木塾ブログ

叱るということ

 宿題をやってこない。授業中ボーとしている...。そんな時教師側としてはそれを看過するわけにはいかない。だがどう対処すべきか?叱ればいい。正論である。ただその叱り方が難しい。今回は叱るということについて考えたい。

 最近入塾した生徒が小学生の時に通っていた塾のことについて話してくれた。その塾では宿題を忘れたり、勝手におしゃべりすると叩くそうだ。それもこつんという可愛いらしいものでなく結構本格的らしい。男女の区別もないようだ。この時代に親は黙っていないだろうと聞くと、そこそこの実績があるから親は見て見ぬふりだとか。逆に悪いのを気づかせてくれたと言って親からも叱られる始末。叩かれても親にも言わなくなる仕組みになっている。こんなことが日常化している暴力塾。(あえてそう呼ばせていただく)同業者とはいえ情けないの一言だ。叱るときに叩く必要があるのか。それがどんなに間違っているかを検証してみたい。

 ラグビー日本代表として活躍し,2016年に53歳の若さで亡くなった平尾誠二さんが残した叱るときの4つの心得を、親友でノーベル賞受賞者の山中伸弥博士が平尾さんを偲ぶ会で行ったスピーチで紹介した。(1)プレー(行動)は叱っても人格は責めない。(2)あとで必ずフォローする。(3)他人と比較しない。(4)長時間叱らない 山中伸弥博士はこのスピーチの最後に、「君のようなリーダーと一緒にプレーでき、一緒に働けた仲間は本当に幸せです」と結んだそうだ。

 これを暴力塾に当てはめると(1)宿題を忘れたという行動は叱られるに値する。しかし暴力行為でこれを諫めることは叱るのではなく感情的な非難になるだけだ (2)あとでフォローするは行われたかどうか検証のしようがないが。もし行っているとすればその子を認めているんだよということを知らせるのではなく単なる自分の暴力行為の罪滅ぼしにしかなっていないと思う。 (3)人前でたたくということは他人と比較していることの証拠に他ならない。君たちはやってきたから叩かれないんだよ。忘れたら同じことになるからねという見せしめになっている。 (4)叱る時間の長短はわからないが、叩くという行為は言葉を省略することなので、時間は短かったはずである。もし暴力塾が抗弁するとこう言うしれない。「だらだらお説教を垂れるより一発カーンとやってさっさと授業に入る時間の節約ですよ」

 他塾の批判ははこれくらいにして自分について考えたい。自分は果たしてこの4つの心得を守れているだろうか?(1)は意識はしているが、結構感情的になってしまうこともあるので叱るではなく怒るになっているときもあるかもしれない。(2)は守られていない。フォローの仕方によっては単なるご機嫌取りになってしまうし、「だったら最初から言うなよ」と突っ込まれそうな気もする。(3)他人との比較もよくやっている。例えばその子の姉を知っている場合など「お姉ちゃんは…」的なことを言いがちである。(4)どのくらいの時間だと長時間にあたるのかしかれれている子のとらえ方次第というところもあると思う。かくも叱るとは難しいんである。(続く)


 





 

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